4泊5日の「大航海」

10月31日から11月4日まで、小浜温泉まで行ってきた、ヨットで。
目的は、長崎外洋帆走協会とサンセットマリーナが実施した「小浜→長崎ヨットレース」に参加するため、ではあるが、私にはそれは単なる口実、大村湾を出るきっかけにしたに過ぎない。

「航海」は、諫早久山港→西海大島港(30海里)→長崎野母崎港(30海里)→雲仙小浜港(30海里)→西海池島港(50海里)→諫早久山港(40海里)のレグを順に進んだ。

10月31日
午前10時に久山港を出航した。
この時から「クルー」として、「キャビン夜話会」の仲間、長崎のトミマツさんが乗り込んだ。また、小浜では同じく口之津のヤマモトさんが乗艇した。
二人ともヨットのオーナーでもあり、運航のベテランでとても心強く素晴らしいクルーぶりを発揮していただいた。改めてお礼を申し上げたい。
特にトミマツさんは全期間乗船していただいたし、豊富な知識と話題で、単純な航行中も退屈することがなかった。そのうえ、スマホを利用したナビゲーションもお手の物で、見通しが悪い中でも適切な進路のアドバイスなど、まるで航海士のように助けていただいた。

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13時15分、西海橋を通過した。このヨットを買って大村湾への回航で通過して以来7年ぶりだ。あの時とは逆コースで西海橋から佐世保湾を進み、1時間後、ようやく外海へ出た。
15時30分、西海市大島港の岸壁に到着して、第1レグを終えた。
予定のポンツーン(浮き桟橋)には着けず、岸壁着岸となった。私がヤマモトさんからの情報をミスしたからだ。先に上がったトミマツさんが手を尽くしてくれたが、やはりポンツーンはダメ、手間がかかる岸壁着せざるを得なかった。
入港後大島の街を散策、スーパーでお総菜など買い物して、夕食。いろいろ語り合ってやがてはそれぞれのバース(寝台)の寝袋へ。
この間日付をまたいで、大島港の連絡船桟橋が変わった(10月末をもって新しい場所へと移った)のだが、それは別の機会に。夜中にチェックするとあんなに高かった岸壁が満潮で低くなったりして・・。でも、安眠。

11月1日
08時30分、大島港を離れ、寺島水道から南下しやがて松島水道を抜けたところで、少し風が吹いてきたのでエンジンを止めセールを上げた。追い風で2時間ほど走ったが、後方から来たヨット3隻に追い越されてしまった。やがて風も落ちたので再び機走、軍艦島のそばを通って野母崎港へ向かった。
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軍艦島は以前一度来たことがある。学生時代野母崎にあった臨海実験所で海洋訓練をしていた折に、カッター実習でここまで漕いできたことがあった。懐かしい眺めだ。ともあれ感慨もほどほどにそのまま野母崎港へ向かった。
15時に野母崎港のポンツーン(浮き桟橋)に着岸した。
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このポンツーンが気がかりだったが、幸いに片側が空いていた。もう片方には、私たちの到着直前に着いたという千葉のヨットが泊まっていた。
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こちらのヨットは、「OBRIGADO」という名前で、私の「ひじゅんⅢ(26フィート)」よりずいぶん大きい33フィートのヨットだ。ウエダさんという方(66歳)が一人でクルージングを楽しんでいるそうで、夕食後にはわが艇に遊びに来ていただいた。酒は飲まない方で、お茶だけ。こうでなければ安全なクルージングはできないのかも。
その夕食前には、このポンツーンのすぐ前にある宿泊施設「Alega軍艦島」の温泉で汗を流した。二日ぶりのお湯は気持ちよかった。

11月2日
07時15分、ポンツーンを離れ出航した。
ウエダさんが見送ってくれた。いつか久山港にも訪ねてみたいと言っていたが、そのウエダさんもすぐに出航したらしく、野母崎を回って行く後方には長崎方面に向かう「OBRIGADO」が見えた。
野母崎を回った頃から北風が吹いてきて揺れはじめスピードが落ちてきた。波にもまれながら、樺島を回り橘湾に向かうが、スピードが3ノット以下に落ちて入港予定が遅れるのが気がかりだった。3時間ほどしてようやく波も収まり小浜港へ急いだ(とはいえ、5ノット半程度にしか過ぎないが)。
13時10分に小浜港のポンツーンに到着し、先着していた大型ヨットに横付けした。
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ここで燃料を点検したところ、ここまでの消費量は想定の半分以下の14リットルにしかすぎず、帰りを考えても60リットルほど入れた燃料タンクの残量はまだ十分あり、ここでの補給は必要ないとした。
その後口之津から来たヤマモトさんが到着合流し、3人で温泉へと出かけた。入浴料150円の公営温泉を楽しんで帰ってくると、今回のレース艇が次々に入ってきて桟橋に並んで繋いでいた。みんなどのフネも大きくて立派だ。こちらの小さいヨットがいよいよ小さくなっていく感じ。
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午後6時から、桟橋前の料亭でレースの前夜祭。
皆さんお互いにおなじみ同志らしく和気あいあいと歓談していたが、私は初めて。隅のほうで静かにしていたのだが、さすがに長年この地域で暮らしているヤマモトさんの顔は広く、そのおこぼれで私にも声をかけてくれる人もあった。中にはトミマツさんの仕事関係の顔見知りの方もいたりして、ヨットつながりの面白さを見つけた。
そして各参加ヨットの艇長挨拶。
一応私にも順番が回ってきた。ありのままをしゃべったが、新参者は珍しいのかちょっと拍手もいただいた。
宴会が終わってから、「ひじゅんⅢ」のキャビンで3人で飲んでいたら、先の宴会で知り合った幾人かの人たちが来てくれた。
ヤマモトさんの話では、このヨットが珍しかったのだそうだ。
私も一人の方から「よくできている」と言われてうれしかった。しかしそれもここまで、やがて翌日の惨事も知らずに。

11月3日
05時20分にポンツーンを離れた。他のフネに着いている以上、こちらが先に出ざるを得ない。まだ暗い時間だが桟橋には照明が明るく問題はなかった。
航海灯をつけて、港外でぶらぶらしてレースのスタート時刻を待った。次々とヨットが出港してきた。やがて明るくなった、
06時30分、合図のホーンが鳴ってレースが始まった。
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参加艇は全部で10隻。以前はこの倍以上が参加していたそうだが、どこもヨットする人が減ってきているという。
スタート時点では風弱く、微風のために各艇がスピーネーカーやジェネカーを上げ始めた。私もならってあげることにした。
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こちらはスピンネーカーを、ポールが面倒なのでジェネカーみたいに取り廻してあげているが、それでも重いジブセールよりまだまし、少しずつ走り始めた。
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当然のことながら、どんどん離されて行った。船は大きい(長い)ほど速いし、そもそも「ひじゅんⅢ」はレース艇とはまるで逆のコンセプトだから当然、この事態は想定内だ。
はじめはレース仕様のヨットが、やがてほとんどのヨットが視界から消えた。

11時。
全航程40海里のうち15海里を来たところで、レースを脱落することに決めた。あと8時間で残りの25海里を、やがて北風が吹いたとしてもジグザグコースを取らざるを得ないし、航程は伸びる。どんなに考えてもタイムリミットに間に合わないと計算した。
そして明日に久山港へ戻ることも考えると、今日中にできるだけ残航程をへらしておきたい。そのためにも今夜は池島の桟橋に着きたい。
レース本部に連絡して、その旨伝えた。そしてエンジン起動・・のはずが。
エンジンがかからない!スターターが一瞬、「クッ!」と言ってそれ以上回らないのだ。そこら先はトミマツさんのアドバイスで、エンジンのデコンプを引いてスターターモーターを回してみた。これで回るがエンジンはかからない。
私がエンジン下に潜って点検すると、辺りは海水だらけ。どこからか冷却水が漏れている!ゾッと来た。
エンジンが回らないのは、シリンダーに水が入って圧縮できないからだろう、とトミマツさんの見立て。そしてアドバイスに従ってエアクリーナーを外すと、なんと吸気口が水浸し。どこからこの水入った?
エンジンヘッドのガスケットか、排気管のミキシングエルボからかもと、トミマツさん。エンジンを分解し再生する方だから見立てに間違いはない。
しかし今の私には打つ手なし。
しかしやるしかない、トミマツさんに従って続けてエンジン始動をトライ・トライ・・やがて回り始めた。エンジンには悪いことだろう、と思うが、今は非常事態、これしかない。
まもなくゆっくり走り始めた。私が落ち込んでいたが、池島には明るいうちに着きたい、不安を抱えたエンジンの回転を上げるしかなかった。なのに、「昼飯にしましょう」とヤマモトさん。人柄ピカイチ、場を和らげるオーラを持っているヤマモトさんの言葉だったが、私には食欲などなかった。でも辛抱して3個のカップ麺にお湯を沸かして入れた。

さてはて、池島まで35海里。午後6時までに着くには5ノット以上で走らなければならない。
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ショートカットのため樺島水道を通ることにした。これで1海里分は稼げる。
初めて通る場所だが、20年近く前に有明海調査からの途中脇岬港にしらふじ丸を入れて、散歩で歩いてこの橋の上に来たことがあって、いつかヨットで通ってみたいと思っていたところだ。今回はヤマモトさんのアドバイスが自信をつけてくれた。
野母崎沖を超えて、機走で走って行くと、やがて他の数隻のヨットの帆影が見えてきた。みんなクルージング艇で、レース仕様の速いフネはもうゴールを切っているころだった。
2時間ほどして、やがて池島の島影が見え始めた。
18時、池島のポンツーン(浮き桟橋)に到着。ほとんど暗くなりかけていたが、幸いに港内は照明で明るかった。
すぐに銭湯に行くことにした。これはクルージングで立ち寄るヨットの皆さんの情報だ。場所や営業時間など、トミマツさんが情報を集めてくれて、20分ほど歩いて到着。
こんな小さな島に不釣り合いの立派な銭湯、しかもたった100円。むかし炭鉱で栄えていた時代の名残だろう。
やばいエンジンで落ち込んではいたが、気持ちのいい風呂ではあった。
20時ころから夕食を兼ねた晩酌は23時までで、寝袋へ。

11月4日
06時、池島港を出港した。
エンジンが始動するか非常に心配だったし、はじめデコンプで侵入水を排出する手順で始めたが、水は出なかった。そして簡単にかかった。
まだ暗い中、航海灯をつけて走った。久山港に午後2時には着きたいので早めの出航。
やがて明るくなって松島水道を通過し、大島水道へと向かった。順調だ。
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大島大橋を通過するともう佐世保湾の入り口が見え始める。あと少し。
09時15分に佐世保湾に入った。これで外海ともお別れ、今度はいつここを出ていくことだろう。
しばらくして大きな2本マストのヨットに追い越された。45フィートはありそうな立派なヨットだ。あんなフネに乗っている人はこっちは見向きもしないだろうね、と私が言うと、二人もうんうんと。双眼鏡で見ていたトミマツさんが、船籍は「オレゴン」と書いてあると発見、星条旗が上がっていた。
ところが、追い越すときそのヨットの中から人が出てきてこちらへ手を振ってくれた。海の仲間を疑った私は恥ずかしかった、ので見えないふりをした。代わりにお二人がしっかりと。
10時20分西海橋を通過。
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ここを抜けると大村湾だ。
いい風が吹いていたが、もはやセールを上げる気持ちはなかった。今後のエンジンの手当のことばかり考えていた。トミマツ・ヤマモトさんたちの話に相槌もいい加減。
やがて空港を過ぎ、久山港辺りが見えてきた。
14時5分、久山港のバースに到着。無事に帰ってきた。
さっさと荷物を陸揚げしてもらう、その間に私はエンジン回りを点検。大量のビルジが溜まっていた。ビルジポンプで排出に少々時間がかかった。
理由は、プロペラシャフトのグランドパッキンからどんどん漏れていた。ここも問題ありそうだな、と思いつつパッキンの増し締めをした。
以後係留索を取りなおして、私も上陸した。

トミマツさんとお別れして、私はヤマモトさんを小浜まで送った。帰りに夕食の買い物。
お二人のおかげでいい航海だった。またの機会が楽しみだ。ただエンジンが…